雫石城は、戸沢衡盛が源頼朝から滴石荘を安堵され、戸沢郷に居住して築いたとされている。その後、滴石氏・斯波氏の居城となり、斯波詮貞・詮貴・久詮の三代にわたって南部氏と対立していたが、南部信直によって滅ぼされた。天正二十年(1592)豊臣秀吉の命により廃城となった。