康平五年(1062)磐井の小松柵において源義家と清原武則の連合軍を迎え撃った安倍貞任の叔父、僧良照の居館であったと伝えられる。安部氏の滅亡後は荒廃していたが、貞治五年(1366)葛西氏の家臣破石氏がここを居館とし、葛西氏と共に滅亡するまでこの地を支配していた。