+
慶長五年(1600)島津義弘は関ヶ原の戦いに敗れ、帰国途中八代にて伊東氏の襲撃を受け、からくも鹿児島に着いた。義弘はこの事件により伊東氏への備えから天ヶ城を築いたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。