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別 名 | : 大分城 | |
種 別 | : 平城 | |
旧国名 | : 豊後 | |
築城年 | : 慶長4年 | |
築城者 | : 福原直高 | |
遺 構 | : 櫓、門、石垣、堀 | |
所在地 | : 大分県大分市荷揚町 ![]() | |
撮影日 | : 平成10年4月30日 | |
大分城の呼称は江戸時代にはなく、当初荷卸城と呼ばれていたが縁起を担いで荷揚城と呼ばれるようになった。福原直高は築城後、幕府に咎められて改易した。代わって早川長敏が入封したが、関ヶ原の戦いで西軍にくみしたため除封。慶長六年(1601)竹中半兵衛の子、重利は幕府の許可を得て城の増改修に着手した。この時、四層の天守閣が建てられ、名も府内城と改められた。